法華宗本門流 立正寺 - 葬儀 法要 供養
死を迎えたものにとって、近親者からの供養はこの上ない喜びとなります。そしていま生きている私達は、追善供養を通してご先祖様の成仏を願うのです。それは恩に報いる感謝の気持ちを表す行為です。
宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経のお題目は「字数は五字七字なれど、すべての仏様がお唱えされて成仏され、生きとし生けるものが成仏できる功徳が納められています。死後の魂にとっては迷いの闇を消し去る灯となり、仏様の世界へ速やかに導いてくれます。南無妙法蓮華経こそが迷いの世界からさとりの世界への渡し船であり、成仏の導き手です。」とお教え下さっています。
お題目は、成仏するための唯一の種であり、成仏するのに必要なすべての功徳を納めています。すなわち、お題目の種を植えなければ成仏出来ないのです。さらに、亡くなった方への供養は法華経による供養しかないことを知ることが一番大切です。
葬式とは人生最後の儀式であり、最も尊ぶべきものです。ですから、私達は亡くなられた方に対して、成仏を祈り、心を尽くして供養しなくてはなりません。
家人が亡くなられた時はまず、第一に菩提寺のお上人様に知らせます。
四十九日忌(満中陰忌・七七日忌)の間は、お上人様が来られる日だけでなく、毎日ねんごろにお題目をお唱えし回向供養致しましょう。
中陰が済むと、百ヶ日・一周忌・三回忌などの追善供養を行います。
中陰とは
という四有(有とは存在を意味します)の中の中有を中陰といいその最大期間が四十九日とされ、満中陰といいます。仏教では、人間の生死が連続していると捉えて四有を考えます。
私達は、死ぬと同時に中有という存在になるといわれます。いわば死後の世界のことです。私達の目には見えませんが、生きた人間のと変わらない生活が存在しているのです。中有(う)の意識はとても敏感です。燈明・香・花を献じ、お水・ご飯・故人の好きだったものなどをお供えし、お題目を唱えます。お題目の功徳は忽ちに届き、皆様の供養の心がたちどころに故人にとっての喜びと変わります。
年忌は命日(亡くなられた日)より一年目(翌年)を一周忌、二年目を三回忌、以後七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌、百回忌と亡くなった年を加えて数えます。年忌法要は、ご先祖様への報恩感謝の供養です。ご先祖様への題目による供養は、最高の功徳をもった親孝行です。年忌法要を勤めるということは、お題目に照らされて、ご先祖さまはもとより、私達にまつわる有縁無縁の仏様が救われるのです。それにより、お守り頂いている仏様たちも、より一層私達を過加護する力を得られることになるのです。
この世に生まれるべき縁を持った尊い生命を有した存在でありながら、不幸にしてこの世で生を受けることが出来なかった霊(=水子)に対しては、充分な追善供養をしなければなりません。
この世に生まれ出ようとした胎児は、生死を繰り返し、今新たに現世での生活を営もうと母親の胎内に宿ってきたのです。体のおおきさからいえば、極めて小さい胎児も、その生命は私達の生命と何ら変わりはないのです。ですから、ご先祖様や寿命を全うされた方と同じように、またそれ以上にお題目をもって供養する以外、水子の霊位を成仏させることはできません。
今日の命が軽視される風潮は人が何故に生きるのかの意味がわからない為に起こると申せましょう。今日の日本人には人の生きる原則が失われてはいないでしょうか。
価値の混同を脱するとき、初めて命の尊厳が見えてくるに違いありません。
二つとない命、二つとない真実、本当に生きる目的、本当の利益は皆供養に根ざしたものです。 本門八品上行所伝のお題目を唱和し供養することこそ「法華経」の中心です。